最期の時は突然に、、、

 

イランカラプテ~、シンジュンです。(・∀・)

 

 

「さいご」という言葉には、「最後」「最期」の大きく二つの漢字があります。( ˘ω˘ )

「最後」というのは、いわゆる一般的な終わりで、複数回経験することがありますが、

「最期」というのは、人生でたった一度しかない「命の終わり」のようなものを意味します。

 

 

人生を生きていると、何度も「最後」を経験します。

そして人生の最後に「最期」を経験します。( ˘ω˘ )

 

 

経験してみて感じる不思議なことですが、

「最後」も「最期」もあまり実感がわかないようです。(‘;’)

 

 

今日はそんな「さいご」についてのお話です。( ˘ω˘ )

 

トンネル

最後の実感

 

去年、引っ越しをすることになりました。

引っ越すので、当然いつも通っていた場所には、もう行かなくなります。

 

 

その時、

「ああ、ここに来るのも、今日が<最後>か…」

と考えてみました。( ˘ω˘ )

(もちろん何年か後にまた来る可能性も0ではありませんでしたが。汗)

 

 

ここに来るのも今日が<最後>になるということ自体は分かっていても、

全ーー然実感が湧いていない自分がいました。(T_T)

 

 

その時、

「ああ、<最後>というものは、その場面になっていても、このように実感が湧かないものなんだな。

最後になっていないから実感が湧かないというのは分かるけれど、

こうして現実に<最後>になっても実感は湧かないんだな」( ˘ω˘ )

と感じました。

 

 

振り返ってみると、

中学・高校・大学を卒業する時も、

職場を転職する時も、

「今日が<最後>だ」ということは明確に分かっていても、

現実に実感は湧いていない自分がいたなと思いました。

 

 

最近ある大学生と話をしていましたが、

その大学生の子が、ある定年退職した教授の話を聞いたそうです。(‘ω’)

 

 

その教授はずっと大学で働いてきて、定年退職をしました。

それをいつ実感したのかというと、

定年退職した次の日に、お昼まで寝ていた自分を見た時、

「ああ、自分は退職したんだな」と実感したそうです。( ˘ω˘ )

 

 

 

過去を振り返ってみて、あなたはいかがでしょうか?(‘;’)

 

ベンチに座る二人の老人

最期は突然やって来る

 

最近、ある高校生(か中学生)の女の子が、お風呂場で感電死したという事件をニュースで見ました。

その子はお風呂の外でスマホを充電していて、湯舟に浸かりながらスマホを確認しようとして、手を滑らせて、充電コードを繋いだまま湯舟の中に落としてしまい、感電死したそうです。(‘Д’)

 

 

「怖いこともあるんだな~」

「お風呂場でスマホ見るなよ」

と一言言って通り過ぎることもできますが、

私はこれを見て、少しその場で考えました。( ˘ω˘ )

 

 

この女の子の立場に立ってみた時、

この女の子はお風呂に入る時「まさか自分がここで死ぬ」とは全っっっっく思っていなかったでしょう。(‘Д’)

 

 

普通にお風呂に入って、

お風呂から上がったらあれをしよう、これをしようと思っていたかもしれません。

 

 

しかし、悲しいことに、それは現実には成されませんでした。。。(T_T)

 

 

「ああ、<最期>というのは、このように来るんだな」と感じました。( ˘ω˘ )

 

梯子を登る最期

最期に備えて

 

私は数年前に親族が亡くなりました。

亡くなった後で振り返ってみると、

「ああ、あの時が、あの人に会った<最期>だったんだな」

と考えさせられました。( ˘ω˘ )

 

 

その人と<最期>に会った時、

その人と<最期>に別れる時、

まさかそれが<最期>になるとは、夢にも思っていませんでした。。。

 

 

「ああ、このように<最期>というのは実感が湧かないのだな。

このように<最期>というのは、予期せぬ形で、突然、いつの間にか、やって来るものなんだな」

と感じるようになりました。

 

 

<最期>はいつやって来るか分からない。

しかし必ずいつかは<最期>がやって来る。

 

 

必ずやって来るのに、いつ来るか全く分からない、

この迷惑極まりない<最期>という訪問客を、一体どうやって迎えたらよいのか。

 

 

「今日<最期>が来るかもしれない」ということを、

常に頭の片隅には置きつつ、

後悔の無い人生を生きたいものです。( ˘ω˘ )

 

 

明日ありと

思う心の

仇桜

 

桜

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