敵か、味方か~痛みと疲労~

敵か、味方か~痛みと疲労~

 

数十年間生きてきて、今日初めて気づいたが、

自分はどうやら「自分が疲れていること」に非常に気づきにくいらしい。

普段から気を引き締めて(気を張って)生きているせいか、疲れていてもあまり「自覚」がない。

体に痛みが走ったりして、原因をたどっていくと「疲れ」に至って気づく場合が多い。

体調管理には気を付けている方だと思うが、うまくいかない場合も多い。

 

 

そういえば昔から

「なんだか今日は体がだるいな。

自分の精神がたるんでいるせいだ!怠けているからだ!

運動不足だからだ!」

と思って、早速ランニングに出かけた。

帰ってきてしばらく経つと、今度は関節痛がしてきて

「あれ?これはちょっとおかしいぞ」(‘Д’)

と思って熱を測ってみると、風邪を引いていた…

ということが何度かあった。

 

 

今では学習して「自分が風邪を引いている可能性」も考えるようになったが、

あんまりうまくいった試しはない。(+_+)

何かよい方法があれば、是非教えて頂きたい。

 

 

乳酸は疲労物質なのか…

 

さて肉体に疲れがたまると、その部分に<乳酸>がたまるということは科学的に知られている。

スポーツをしている人などは、よく運動後は「乳酸が溜まっているから、マッサージやストレッチをした方がいい」という話をよく聞いただろう。

 

 

しかしこの<乳酸>。

今までは「疲労物質」として、疲労の原因とされてきた。

 

 

しかし最近の研究で、

この乳酸は、むしろ疲労を回復させる効果があるのでは?

という新説が出てきたのだ。

 

 

つまり今までは

「乳酸があるから疲労している」

と思われていたが、むしろ逆で

「疲労があるから、乳酸が分泌されて、回復しようとしている」

という可能性が出てきたことになる。

 

 

もしこれが本当だとすると、

例えば「これを飲むと筋肉の乳酸を分解して、疲労回復できます☆」という栄養ドリンクなどがあった場合、

むしろ完全に逆効果だったということになる。Σ(・□・;)

自分を助けに来た人を、むしろ追い返してしまうようなことをしていたことになる。

人間無知だと、いろいろな恐ろしいことをしてしまうものだと思う。

 

 

敵か、味方か

 

自分が敵対視していた人が、実は「自分の味方だった」もしくは「自分に有益をもたらしてくれる人だった」ということは、まま聞く話だ。

 

 

ある人から聞いた話だが、

高校時代の部活動で、すごく自分を叱る部活動の先生がいたそうだ。

それでその人は「この先生は自分のことを嫌っている」と思っていたそう。

しかし部活をやめるのも、その先生に負けた気がして、悔しさをバネに最後まで頑張ったそうだ。

結果、最後の大会では今まで以上の結果を出せて喜んだそう。

 

 

そして部活を引退する時に、

実は、その先生はその人にとても期待をかけていたという話を聞いたそうだ。

期待をかけていたからこそ、より厳しく叱ったし、コーチしたという。

そして最後の大会でその人がいい成績を残したことをとても誇りに思うと、最後にとてもほめてくれたそうだ。

 

 

それを通して、今まで自分がその先生のことを誤解していたと、とても反省したと話していた。

 

 

もちろんみんながみんなこういう訳ではないだろうが、

自分の敵、自分に害を与えると思っていたことが、

実は自分の味方だった、自分に有益だったという可能性は考えて見なければならないことだ。

 

 

(これは余談だが、漫画や物語の中でも、

最初は主人公の敵だったが、最終的にはものすごい味方になっていく話は多いように思う。

ドラゴン○ールのピッコ○、ベジー○とか。

幽遊○書の飛影とか。

ハリーポッターのスネ○プ教授

ワン○ースとかはそれだらけ。笑)

 

 

 

痛みも辛さも…

 

そう考えてみると、

人が無理をした時に、体に痛みが来るようになっているのは、

とてもよくできたシステムだと感じるようになる。

 

 

自分のような人間は、痛みが走ってくれないと気が付かない。

痛みが来ないと、そのまま行ない続けて、いずれ体が壊れてしまうことになる。

だから「おいおい、なんで痛みなんかあるんだよ!」と文句が言えない。

むしろ「あなた、そろそろストップしないとまずいよ。体壊すよ」と教えてくれているものだからだ。

 

 

人間が生きていると、いろいろな<痛み>が生じることは多い。

身体的な痛みもあれば、心の痛みもあるだろう。

基本的に「痛み」は嫌なものだが、

その<痛み>は自分に何かを教えてくれているものかもしれない。

<痛み>があるからこそ、そこを避けようとするし、人は痛みを解決しようとする。

 

 

生きていく中でたくさん感じる<痛み>だが、

敵なのか、味方なのか、いつも判断してみないといけないだろう。

自分にとって「害になりそうな人」でも、もしかしたら「自分を助けてくれる人」かもしれない。

今は助けてくれなくても、将来助けてくれる人になるかもしれない。

 

 

自分勝手に解釈して、

自分を助けに来てくれた人を攻撃してしまうことがないようにしたい。

 

 

自分に<痛み>が来た場合は、

歓迎こそできないかもしれないが、

一応「お前、今度は何しに来た?」と聞いてみる人格は、

持ち合わせたいものである。

 

 

 

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