生き方:<遺書>を書いて生きる

 

ブオン・ジョルノ~、シンジュンです。(・∀・)

 

 

個人的な話ですが、数年前に親族を亡くす出来事がありました。

誰でも通る道、経験することだとは思いますが、それを通してより深く<人生>について考えさせられました。( ˘ω˘ )

 

 

<死>という最期に触れることにより、

<生>という現在についてより考えさせられました。( ˘ω˘ )

 

 

今日は親族の<死>を通して感じたことの一つについてご紹介できればと思います。(・∀・)

 

菊

人が死んだ後のすべきこと

 

まず、実際人が死ぬと、遺族のやることはいろーいろありました。( ˘ω˘ )

 

 

●葬儀の準備(これだけでもいろいろ大変)

●遺品の処分と片付け(これもまた大変)

●賃貸の家なら契約の解約

●銀行口座の処理(遺産相続という形になるそうで、いろいろ手続きが必要になります)

●携帯などの解約

●役所に死亡届の提出

などなど、、、

 

 

一口に「葬儀の準備」と言っても、いろーーいろとやるべきことがあります。(-_-;)

 

 

内容としては正反対ですが、やること自体は丁度結婚式のようだとも言えるなと思いました。

いつ?どこで?誰を呼ぶのか?

故人に着せる服は?お花はいくらくらいまでのものを?

葬式の形式は?骨壺の種類は?軽食は用意するか?

などなど、いろいろなことを選んでいかないといけません。

 

 

結婚式は事前に数か月前からじっくり準備して臨むことができますが、

お葬式に関しては数か月前からじっくり準備して臨むということは不可能です。(-_-;)

 

 

上の様々なことを選択する時も「故人は何を喜ぶだろうか?」という基準で選択していくことが多いため、よく分からないものもありました。

そのためもし死期が分かっているならば、事前に本人の意向を聞いておくことをお勧めします。( ˘ω˘ )

 

 

実際にやってみると、

「ああ、人が死ぬと、これだけ多くのことが残るんだな。残された方はなかなか大変だ。

自分が死ぬ時は、できる限り、自分で処理できるものは最大限処理した状態で死なないといけないな」

と考えさせられました。( ˘ω˘ )

 

手紙

遺書を書いて生きる

 

人はなぜか「明日も自分は生きているだろう」という希望と錯覚の中で生きています。(‘Д’)

 

 

もちろん、多くの場合その希望は成されるのですが、それが成されない場合も考えられます。

 

 

「遺書を書いておいた方がいい」と言うと、

「なんて不謹慎な!!」と思われるかもしれませんが、

実際、今日生きている人が、明日も生きているという<100%の保障>はありません。(-_-;)

 

 

もし万が一、交通事故などの不慮の事故で自分が亡くなった場合、

残された遺族にさまーざまに迷惑(というよりは手間)をかけてしまうことになります。

遺族や友人に迷惑をかけないためにも、

また必ず伝えたいことを伝えておくためにも、

<遺書>を書いておくべきなのだなと思うようになりました。

 

 

私は親族が亡くなることを通して、

「人は<遺書>を書いておいて生きるべきなんだな」

ということを悟るようになりました。

 

 

つまり「自分がいつか死ぬかもしれない」という可能性を考えつつ、

それに対して準備もしつつ生きるべきなんだなということを学ぶようになりました。( ˘ω˘ )

 

 

そういう意味で、私は<遺書>を書いておきました。

(自殺を考えたりしている訳ではありませんので、あしからず)

 

 

書いてみると、人生について、いろーいろなことを考えさせられました。( ˘ω˘ )

 

それを通して学んだことは、また書けたらと思います。

 

 

「まだピンピンしているのに遺書なんて書けるか!」という気持ちも十分分かりますが、

それでも一度、書いてみることをお勧めする次第です。

 

 

自分の生について、意味について、残される人について、

振り返る機会になるのではないかなと思います。( ˘ω˘ )

 

 

墓

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