数学から学べること⑨~MECE(ミーシー)に分ける~

数学から学べること⑨~MECE(ミーシー)に分ける~

 

数学から学べる本質的な思考を、人生の他のところに応用する「数学から学べることシリーズ」第9回

今日のテーマは「MECEに分けること」について。

 

 

これは日常生活でもものすごくよく使う考え方であるが、実は結構見通されがちなところもある。

ある程度数学を学んだ人ならば当たり前に持っている<感覚>なのだが、それをご紹介したい。

そして最後に<歴史>にも少し触れてみたい。

 

 

MECEに分けるとは?

 

ご存じの方も多いかと思われるが、

まず「MECEに分ける」とはどういうことか?(´・ω・`)

これは「全体を、重なることなく、漏れなく分けること」を言う。

ロジカルシンキングなどを勉強すると必ず出てくる単語だ。

 

 

「MECE」(ミーシー)は以下の四つの言葉の頭文字をとったもの。

Mutually:相互に

Exclusive:排他的

Collectively:集合的に

Exhaustive:完全

 

 

例えば「日本人」という集合を分ける時、

「男性」と「女性」で分けたら、これは「MECEに分けた」と言える。

なぜなら以下の二つの条件を満たしているからだ。

1.日本人は必ず「男性」か「女性」に分けられる(漏れなく)

2.男性でありかつ女性であることはない(重なりなく)

(※このように分けることを数学用語では「disjointに分ける」などと言ったりもする。)

 

 

逆に「MECEに分けていない例」としては、

日本人を「犬好き」と「猫好き」に分けること。

そうすると「犬も猫も嫌いな人」がいるかもしれない。(漏れている)

また「犬も猫も好きな人」がいるかもしれない。(重なっている)

そのため「MECEに分けた」とは言えない。

 

 

聞いてみると特にそれほど難しい概念ではない。(´・ω・`)

何かをMECEに分けること自体はとても簡単だ。

日本人をMECEに分ける方法はたくさんある。

 

 

ところが、これを実際に使うとなると、少し難しくなる。(‘Д’)

どうしてかというと、、、

 

犬と猫が向き合っている

 

問題を解いてみる

 

何かの集合があった時に「MECEに分ける」こと自体は簡単だが、

実際「MECEに分ける目的」がある。

 

 

「MECEに分ける目的」は「分けておいて、その一つ一つについて調べていく」ためだ。

そのため、どこでも適当なところで分ければいいのではなく、

より<本質的なところ>で分けなければ、分ける意味がなくなってしまう。(;’∀’)

 

 

 

例えば、以下の数学の問題を解いてみる。(高校生レベル)

 

以下の連立方程式の解の個数を求めなさい。

① (x-1)^2+(y-1)^2=1

② y=kx+1

 

(はい!その人、逃げない!!( ゚Д゚)/)

 

 

これは単純に②を①に代入して、「y」を消して、「x,kの式」にしてしまう。

これが解を持つかどうかは「k」に依存してくるので、「k」の場合分けが必要になってくる。

式上で計算すると解ける。

 

 

しかーし、あんまり式で計算しても、何をやっているのかよく分からない。

数学で大事なことは「イメージ」だ。

という訳で、図でイメージで理解しないと、自分が一体に何を計算しているのか分からなくなる。(;^ω^)

 

 

図で考えてみよう。

① (x-1)^2+(y-1)^2=1

② y=kx+1

をグラフで描いてみると、以下の通り。

 

 

少し小さくて見ずらいが、

①が青い線の「円」

②が赤い線の「直線」だ。

k」は赤い直線の「傾き」を表しているので、k」が変わると、この赤い直線の傾きが変わることになる。

つまりグラフで言うと、中央にある赤い直線と「y軸」の交点の黒い部分を中心として、直線がクルクル回転するイメージ

 

 

「連立方程式の解の個数」というのは、この①と②のグラフの「交点の個数」なので、

k」の値が変わって、直線がクルクル回転すると、円との交点の個数も変わってくるのが視覚的にイメージできる。

 

 

そうなると、いつがポイントになってくるかというと

「直線と円がちょうど接する時」だということが見えてくる。( ..)φメモメモ

 

 

これをガーリガリ計算すると、、、( ..)φ

k=0,3」の時に、円と直線が接するという結果が出てくる。

 

 

そのため答えとして、上の連立方程式の解の個数は、

0<k<3」の時、2個

k=0,3」の時、1個

k<0,3<k」の時、解無し

という結果が得られる。

 

 

ここで「0<k<3」「k=0,3」「k<0,3<k」という三つの分け方は、

実数全体を「MECEに分けている」という点に注意。

 

 

 

本質的なところで分ける面白さ

 

さて、それが一体どうしたのかというと、、、

先ほどにも書いた通り「本質的なところで分けないと意味がない」というところに注目したい。

 

 

この問題の例で言うならば、「k」の値の場合分けが必要だが、

それはどこでMECEに分けるべきかというと「円と直線が接する時」だった。

この「円と直線が接する時が本質的に分けるべき点である」ということが分かったら、この問題はほぼ解けている。

(あとは計算間違いをしないようにだけ!(‘Д’))

 

 

数学を勉強していると、このような「本質的な<点>」を探そうとすることが多い。

 

(ここで言う<点>というのは、いわゆる点というよりは「ポイント、地点」というような意味。

例えば「水は0°で氷、100°で沸騰する」ので、

水にとっては「0°」「100°」というのは<本質が変化する点・地点>だと言える。)

 

 

このような観点をもって物事を眺めてみると、いろいろと面白さが見えてきたりする。(*‘ω‘ *)

 

 

時代を本質的な点で分けると…

 

余白が足りなくなってきたので、一つだけ例を挙げるとするならば

「歴史の時代区分」もそうだろう。

 

 

例えば日本史で言うと「鎌倉時代」という時代があった。

これは「鎌倉幕府があった時代」だから「鎌倉時代」だというのは当然の話だ。

鎌倉幕府がいつ成立したのかは諸説あるが、今のところ1185年に成立したとされているようだ。

(「良い国作ろう鎌倉幕府」が有名なので1192年だと思われがちだが)

 

 

そのあと鎌倉幕府がつぶれて、室町幕府ができたので「時代が変わった」とみなされて、時代が区切られている。

正確には「1336年に後醍醐天皇が都を追われ足利尊氏が代わりに京都に入ってきて年から室町時代だ」と言われている。

 

 

鎌倉時代は「1185年~1336年」、室町時代は「1336年~1573年」、その後は「安土桃山時代」と続く。

単純に時代を区切ろうと思ったら、特に「1185年」で区切らなくても、他の区切り方もある。

「1193年」で区切ったって、別に構わない。

しかし日本の歴史を考えた時に「幕府が変わる」ということが、日本の歴史上大きい意味と影響を及ぼすため、そこで年号が区切られていると考えられる。

 

 

「後醍醐天皇が都を追われ足利尊氏が代わりに京都に入ってきた」ということが、日本の歴史上とても大きい意味を持つから、そこで年号が区切れている

と考えると、なんだかとても不思議な感じがする。(´・ω・`)

 

 

 

このような「MECEに分ける」ことは「本質的な点で分けることが重要だ」ということを考えてみた時、いろいろなものの<本質的な点>が見えてきて面白い。

これはサイエンスにも言える話なのだが、、、

余白が足りなくなったので、この続きはまた次回に。m(_ _)m

 

 

【今日の二言まとめ】

1.MECEに分ける時は、<本質的な点>で分けることが重要

2.シンジュンは犬猫両方好きだが、どちらか選べと言われたら「犬派」である

 

数学から学べること⑨~MECE(ミーシー)に分ける~” に対して1件のコメントがあります。

  1. るあか より:

    「はい!その人、逃げない!!( ゚Д゚)/」のくだりでギクッとしました。
    数学については、塵ほどの質問したい疑問が山のようにあります。

    1. シンジュン より:

      実際数学に限らずですが、そういう躓きって、大抵は「小さいこと」なんですよね。
      でもそれを解決できないまま積もってしまって、いつの間にか手が出せないくらいになっていることが多い印象です。
      癌も早期治療が大事ですが、小さな疑問も早期に解決することが大事なのかもですね。^^

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