数学から学べること⑫~曖昧な定義から生じる問題~

 

ボア・タージ、シンジュンです。(・∀・)

 

数学から学べる本質的な思考を、人生の他のところに応用する「数学から学べることシリーズ」第12回

今日のテーマは「定義を明確にすること」についてです。

 

 

私たちが日常で使う言葉には<曖昧さ>があります。

この<曖昧さ>がむしろ私たちのコミュニケーションを円滑にしてくれているとも言えるので、文句も言えない今日この頃です。(‘Д’)

この辺りは以前にもお話してきました。

 

 

科学において、特に数学において<曖昧さ>は天敵です。(‘Д’)

なので私たちが<日常で使う言葉>では対応しきれないので、抽象度を高めて様々な<記号>を使うことになります。

そうするとあの意味不明な文字の羅列が生まれてくる訳です。( *´艸`)

しかしそうしてこそ<正確に>伝えられるというメリットもまたあります。

 

 

今日は数学における「<曖昧な言葉>を明確に定義すること」についてのお話です。(・∀・)

これは例がたくさんあるので、何回かに分けてお話できればと思います。

 

クエスチョンマーク

 

はっきり分からず適当に進んでいくと…

 

数学においては度々、

「うーん、気持ち的にはOKなんだけど、でも厳密には言えないよね?」( ˘•ω•˘ )

ということに見舞われることがあります。(具体例は後で)

 

 

そういう時に、

「ま、気持ち的にOKだから、いっしょ!!

とりあえず前進もうぜ!ポジティブシンキングが大事だよ!

やればできるよ!行けば分かるさ!行くぞーーー!!

1・2・3・ダーーー!」(o´3`)ノ

 

と言う感じで、

妙なポジティブさを発揮して<曖昧なまま>進んでいくとどうなるのか??

 

 

最初は大丈夫なのですが、進むにつれて「超微妙なもの」が出てきます。(‘Д’)

 

 

そういう時、気持ち的にOKで進んできていたので、

「あれ??これってどっち??」( ˘•ω•˘ )

というように、判断できなくなってしまうことが、よーーーくあります。

 

 

サイエンスにおいては、めちゃくちゃよくあることの一つです。(´・ω・`)

サイエンスが発達して、範囲も広がり、もっと細かく見ていくと、すごく<繊細なもの>を扱わない訳にはいかなくなります。

そうした時に、今まで<曖昧にしてきたこと>が仇になってくることは多いです。

もちろんその時にもう一度取り組めばいいと言えばいいのですが。

 

 

では具体例を挙げて説明してみます。(・∀・)

一応<数学から学べることシリーズ>なので、数学を例に挙げてみますね。

他の分野のこともまた次回取り上げてみたいです。(・∀・)

 

標識看板矢印

 

例①:値の収束について

 

高校数学Ⅲで「limit」(極限)について勉強しますが、

一番シンプルな例は以下です。

\lim_{n \to \infty} \frac{1}{n}=0

 

これを和訳すると

「nを無限に大きくしていくと、1/nは限りなく0に近づいていく」

というような意味合いになります。

この時「0に収束する」と表現します。

n=10の時、1/n=0.1

n=100の時、1/n=0.01

n=1000の時、1/n=0.001

・・・と続いていけば「限りなく0に近づく」感じはします。

 

 

実際「まあ、それはそうだよね」(´・ω・`)という感じです。

 

 

ところがここで考えてみると、実は「無限に0に近づく」という表現が<曖昧>です。( ˘•ω•˘ )

「え?そう??」と思われるかもしれませんが、

実際「0への近づき方」というのは、他にもたくさんありえます。

「1/n」とかは単調にどんどん減っていってくれるので分かりやすいのですが。。。

 

 

0に変な感じで近づいていくものを作るのは、ちょっと複雑になってしまうのですが、

例えばこんな感じの数列{a_n}を考えてみたらどうでしょう?

 

mを何か整数として)

n \neq m^2の時 → a_n=\frac{1}{n}

n=m^2の時 → a_n=1

 

こんな数列を考えてみると、これは「0に限りなく近づいていく」のでしょうか??(´・ω・`)

 

 

まず「n \neq m^2の時」(つまりnが何かの整数の2乗になっていない時)

「1/n」なのでどんどん0に近づいていくのは大丈夫ですね。

しかしこのn=m^2の時」(つまりnが何かの整数の2乗になっている時、4とか16とか121とか)はどうでしょう?

この時はいつも「1」なので、0に近づいていきません。

でもn=m^2の時」は、どんどん遠くなっていきます。

だから全体としてどんどん「0に近づいていく」ような気もしなくはありません。(´・ω・`)

 

赤いクエスチョンマーク

 

<定義>から見つめ直す

 

この変な数列{a_n}は0に収束するのでしょうか?(´・ω・`)

 

 

これは「収束」をどう定義するのかにも変わってきますが、

今のところ数学の世界でメジャーな収束の定義からすると、この数列{a_n}は0に収束しません。(´・ω・`)

 

 

ここで大事なのが赤にした部分で、

「今のところ数学の世界でメジャーな収束の定義からすると」ということです。(´・ω・`)

つまり「収束」の定義を見つめなおして「こういう収束も考えよう!」という話になれば、また話は全然変わってくることになります。

 

 

結構よくある<誤解(勘違い)>は、

もともと「収束」の定義があって、それに基づいて考えているのだと思っている人が多いということです。(‘Д’)

 

 

しかし「もともと収束の定義があった」とすると、それは一体どこにあったのでしょうか??(”Д”)

土の奥底から何かの文書が出てきて、そこに

「収束の定義はこうだ~~」と書いてあったのでしょうか??

しかしその文書もまた誰かが書いたものな訳なので、もともとあったとは言えません。

 

 

つまりどういうことかというと、

あくまで「私たちが<収束>という概念を定義して、その共通認識の上で議論している」ことに過ぎないということです。

もちろんそこにはすごくいろいろな有益があります。

しかしあくまで「私たちが概念を定義して議論している」ということを忘れてはいけませんね。

(※ここが他のサイエンスと数学の異なる点の一つです)

 

 

だから時には「収束って本当にこの定義でいいんだろうか?もっと他にも無いのだろうか?」と考えてみることは大事なことです。(*‘ω‘ *)

 

 

前回「数学は<定義>から始まる」という話を書きました。

<定義>から始まるからこそ、その根底、土台となる部分を問うこともまた、大事なことになってきます。

 

ホワイトボードに書く男性

 

曖昧に定義すると、問題が生じる

 

「収束」という概念も、上に挙げたような簡単なものならば、それほど細かく深く考える必要性はありません。

しかし物事が発達して、もっと詳細に繊細にいろいろなことを考えなければならなくなった時、

<曖昧に考えていたこと>が露呈してくることは、数学の世界ではよくあることです。

(というよりは、よく起こらないように細心の注意を払っています。笑)

 

 

日常への応用までは今日は書けなかったので、また次回に書けたらと思います。(・∀・)

私たちが<曖昧に考えていること><曖昧に定義していること>によって、様々に問題が生じていることは、実はたくさんあります。

 

 

今回は詳しくは書けませんが、、、

<自分自身>をどう定義するか、

<人生>をどう定義するか、

<自由>をどう定義するか、

<愛>をどう定義するか、

 

このようなことに関して、定義が曖昧なことから生じる問題、不一致が多いのをたくさん見ました。( ˘•ω•˘ )

 

 

かなり長くなりそうなので、続きはまた次回に。

次回以降も<曖昧な定義>から生じる問題を見つつ、

それを上のような問題に適用してみたいです。(*‘ω‘ *)

 

ではでは~

 

【今日の二言まとめ】

1.曖昧な定義をしていると、いつかは問題にぶつかることになる。

2.その時「前向きに行こうぜ!ダー!!」では乗り切れないことも多い。

岩を登る男性

【関連記事】

数学から学べること⑪~定義を確認する~

数学から学べること⑬~曖昧な定義から生じる問題②ネイピア数~

 

数学から学べること⑫~曖昧な定義から生じる問題~” に対して1件のコメントがあります。

  1. Erina Nakamura より:

    あんにょんはせよ〜
    ほんと定義大切ですね!
    数学とは長らく無縁だったので、面白かったです
    「概念を定義して議論している点が、他のサイエンスと数学の異なる点の一つ」
    というのが気になりました!

    私は勝手に、学問は全部
    過去の人が「定義らしいもの」を発見→それを信じる(科学への信仰)
    →その上に理論構築して新たな定義らしいもの発見 
    だと思ってて、どの分野でも定義はしてるのかなぁと・・
    虚数みたいに、自由に実在しないものまで定義してる点が独特なんですかねぇ?

    1. シンジュン より:

      アニョハセヨ~

      数学と他のサイエンスの大きな違いは「調べる対象」です。
      他のサイエンスは調べる対象が「自然(現実の現象)」ですが、
      数学は「自然(現実の現象)」ではなく、ある定義で囲まれた抽象世界です。
      だから唯一数学には「証明」というものが可能になってきます。^^

      詳しくはまたどこかで書ければ~

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