数学から学べること②~<数学><国語><音楽>の共通点~

数学から学べること②~<数学><国語><音楽>の共通点~

 

前回「数学から学べること①~そもそもなぜ勉強するのか?~」を書いた。

前回は初回ということもあり、<数学>についてというよりは、<勉強全般>について書くことになった。

 

 

今日からより具体的に「数学を通して学べること」について書ければと思う。

(特に数学的な難しい話はないのでご安心を。(´・ω・`))

「あ~、そういうことが数学を通して学べるんだな」と分かり、

その「学べる部分」だけを持ち帰って頂ければと思う。

 

 

 

<数学><国語><音楽>の共通点

 

さていきなりだが、副題にもある通り、

<数学><国語><音楽>に共通点がある。(´・ω・`)

すごく難しいことではないのだが、一体何かお分かりだろうか?

 

 

・・・・・・thinking time・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・|д゚)!

 

 

「正解はCMの後で!」(-ω-)/

としたいところだが、特に流すCMも無いので、答えを書くと、、、

 

 

正解は、

<数学>も<国語>も<音楽>も「表現の学問だ」という点だ。

 

 

<数学>も<国語>も<音楽>も「表現の学問」だ。

つまりこの三つは「物事を表現する方法」が異なる。

そしてその表現方法がとても重要だということだ。

(ただし<数学>の場合は表現するだけに留まらず、そこからそれを調べていく「研究」という工程に入っていくが、それはまた別の話)

 

 

言葉の限界

 

「バイリンガル(bilingual)は数学が苦手な人が多い?」でも触れたが、

<言葉>というものは「概念を記号化(音声化)したもの」だ。

 

 

リンゴ🍏という概念(物)があった場合、

それをアメリカの言語で表現すると「apple」であり、

日本の言語で表現すると「りんご」であり、

韓国語の言語で表現すると「사과」になる。

しかし指し示している概念は同じだ。

 

 

ところがここで問題が生じてくる。

同じくりんご🍏という概念(物)を指し示すと思われる「apple」と「りんご」だが、

実際この二つの概念には「微妙な違い」がありうる。

例えば、アメリカ人が思い浮かべる「apple」は黄緑色のりんご🍏で、

日本人が思い浮かべる「りんご」は赤色のりんご🍎かもしれない。

そうするとここで「誤解」が生まれるようになる。

 

 

また同じ日本人同士だとしても、

「赤いりんごを食べた」と言った場合、

Aさんが思い浮かべる「赤」と、

Bさんが思い浮かべる「赤」は、

違いがある可能性が多々ある。

 

 

例えば、

 

 

 

 

最初の画像の背景と、2番目の写真の花の色は何色ですか?と聞くと、多くの人が共に「赤色」だと答えるだろう。

しかし実際二つの「赤色」は同じではない。

ここに「誤差」が生じてくる。

 

 

このように私たちが普段使っている言葉は「誤差」つまり「誤解」が多い。

自分の伝えたいことを100%相手に伝えることは実際問題としてできない。

 

 

ある人が「いや~、昨日は会社に遅くまで残ってたんですよ」と言っても、

「遅くまで」が一体何時なのかは分からない。

ある人は「ああ、たぶん22時くらいまで残っていたのかな」と思うかもしれないし、

普段から22時くらいまで残るのは普通な会社生活をしている人が聞くと「ああ、終電くらいまで残っていたんだな」と思うかもしれない。

 

 

もちろん「いや~、昨日は会社に22時39分52秒まで残ったんですよ~」(‘ω’)ノと言われても、面倒臭い。笑

そうだとしても、超面倒くさい話をするならば、

「会社に残っていた」というのがいつを指すのかが分からない。

ある人は「帰ろうとして会社のデスクを立った瞬間」だと思うかもしれないし、

ある人は「会社の出口を出た瞬間」だと思うかもしれない。

 

 

「いや~、昨日は会社の出口を22時39分52秒に出るくらいまで会社に残ってたんですよ~」(‘ω’)ノ

という人がいたら、正直あんまり話したいと思わない。。。

 

 

これが<言葉>の限界だろう。

 

 

<科学(Science)>の必要性

 

ここでいう<言葉の誤差>を無くして、自分の伝えたいことを100%伝えようとすると、

どうしても「普段使っている言葉、言語」では不可能だ。

 

なぜかというと、普段使う言葉は凄く「曖昧」だからだ。

だから先ほどのような誤差が生じる。

しかしその<曖昧さ>が、むしろコミュニケーションを円滑にしてくれているということも事実だ。

(それは上の例からも分かるだろう。)

 

 

だからこそその<言葉の誤差>を無くすためには、言葉の抽象度を上げる必要性が出てくる。

それで登場するのが「科学(Science)」だ。

 

 

 

「水をたくさん飲んだ」では100%伝わらないが、

「水を200ml飲んだ」と言えば100%通じる。

もっと言えば「純水(H2O)を200ml飲んだ」と言えばもっと正確だ。

(そんなことを日常で言われたらウザイと思うだろうが。笑)

 

 

そして

「科学(Science)」という本は<数学>という言語で書かれている。

 

 

ここに数学の必要性がある。

つまり<数学>とは「物事を正確に100%記述し表現するための方法」だ。

だから普段使う言葉ではなく、別途<記号>が必要になる。

それが多くの人が嫌う「Σ,∫,x,y,z」など。

そういう記号を使わざるを得ないということをご理解頂きたい。

 

 

なので数学の世界では、自分の言いたいことが100%相手に伝わる。

これは実際やってみると嬉しいことだし、すっきりすることだ。(*‘ω‘ *)

(もちろん相手もまた数学という言語を知っていないといけないが、それは英語や中国語なども同じだろう。)

誰でも「自分の言いたいことが相手に伝わらないもどかしさ」を感じたことがあるだろうけれど、

数学においてはそれがほとんど無い。

 

 

そして「表現が正確である」からこそ、厳密にそれについてもっと深く調べること(解析すること)ができる。

ここに数学の<必要性>と<有効性>がある。

 

 

 

数学は<国語>だ

 

<数学>も<国語>も<音楽>も全て「表現の学問だ」と言った。

それぞれ表現したいものがあり、その表現方法が異なる。

<国語>はいわゆる「日本語」で表現し、

<音楽>はそれを「音」「歌」で表現している。

 

 

高校時代、自分が数学を好きになるきっかけをくれた先生がいたが、

とてもいい先生だったがゆえに、途中で教育委員会に引き抜かれて行ってしまった。(‘Д’)

その先生がよく「数学ができる人は国語もできる」と言っていた。

最初はよく意味が分からなかったが、今ではよく分かるようになった。

 

 

実際、数学は<国語>だ。(´・ω・`)

(※これについてはまた次回書くことにしたい)

 

 

 

<数学>も<国語>も<音楽>も全て「表現の学問だ」が、

あとは「何を表現したいのか?」が重要だ。

 

 

すごく絵のうまい人がいたとしても、

「描きたいもの」が無ければ、無用の長物になってしまう。

 

 

数学が表現したいものは、より抽象的な概念だ。

 

 

では<国語>や<音楽>は何だろうか?

それぞれの言葉で、表現方法で表現しているが、

一体何を表現しているのだろうか?

また何を表現したいのだろうか?

 

 

これが無ければ、

<国語>を学ぶ意義も、

<音楽>を学ぶ意義も、

無くなってしまう。

 

 

一つ、考えるきっかけにして頂ければと思って、一言書いた。

 

 

 

 

<数学>とは「物事を正確に100%記述し表現するための方法」だと書いた。

ある情景を表現するのに<文章>で表現するのと同じだ。

 

 

だから数学を学ぶことで

「物事を正確に記述し、表現する力」が身につくようになる。

これは普段の生活の中でも、社会で働く上でも、非常に重要な能力だ。

(実際数学が苦手な人はプレゼンテーションなどを聞いてみると、変なことを言っていたりする)

 

 

 

このあたりに関してはまた続けて書いていけたら。

長々と書いてしまったが、少しでも参考になれば幸いに思う。

お付き合い頂き感謝☆彡

 

 

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