電車で席を譲られたらどうする?~人の好意を受け取るか~

電車で席を譲られたらどうする?~人の好意を受け取るか~

 

自分のスタンスとして基本的に、

「人からの好意は素直に感謝して受け取る」

ことにしている。

 

 

もちろん例外となる状況もあるが、基本的にそのような考え方を持っている。

今日はそのように考えるようになった経緯をご紹介したい。

 

 

友人の電車内での出来事

 

だいぶ前のことだが、ある日友人がこういう話をしてきたことがあった。

 

 

「いや~、今日電車に乗って、座って寝てたんだよ。

それで目を覚ましたら、前におばあさんが立ってて、

『これ、席譲った方がいいかな~』って迷ったんだけど、

勇気を出して立ち上がって、譲ろうとしたんだよ。

そしたらおばあさんは『次の駅で降りるから大丈夫です』って座らなくて、

『あ、そうですか』ってもう一度座るのも微妙でそのまま立ってたら、

席が一つだけ空いてて、どちらも座れなくてさ。

超微妙な空気になったよー

 

 

その話を聞いて、その情景を思い浮かべてみると、確かにすごく微妙な空気だなと思った。(‘Д’)

 

 

いつもなら「そういうことあるよね~」と軽く流すところではあるが、

この時それを聞いて、考えるようになった。

「うーん、何が問題だったのだろう…?」(‘;’)

 

 

確かにおばあさんの「次の駅で降りるから大丈夫」という話も分かるし、

席を譲ろうとした友人の気持ちも分かる。

友人が「まあ、このおばあさんは次の駅で降りるから大丈夫だろう」と言って座っていたとしたら、

「それはそれでどうなの!」( ゚Д゚)

と突っ込みたくなる。

それに友人からすれば、そのおばあさんがどこの駅で降りるかなんか分かるはずがない。

 

 

どちらも変なことは言っていない。

ではもし、自分が友人と同じ立場になった時、自分はどうすればいいのだろう?(‘Д’)

と考えた。

 

 

そんなに超まれな状況ではない。

これからの人生で何度もありそうな場面だ。

というよりも、すでに自分も似たような経験は過去してきた部分もある。

 

 

さて、これは一体どういうことだろうか…???

 

 

どこに問題があるのか?

 

これについて考えてみると、結局問題はどこにあるかというと、

その「おばあさんのスタンス」にあるということが分かるようになった。

 

 

友人としては、おばあさんがどこで降りるか分からない状況で、

もしかしたら席を譲って欲しいと思っているかもしれない状況で、

席を譲ろうとしないという選択肢は、

一般常識と道徳上無い。

(もちろん現実問題としては、友人がすごく疲れていたり、病気だったり、到底席を譲れないほど混んでいたりすることはあるかもしれないが)

 

 

そうなると残るはおばあさんの話になる。

 

 

考えてみると、結局はおばあさんの

「次の駅で降りるから大丈夫」

という、この部分に問題があるということを考えるようになった。

 

 

どこに問題があるかというと、

<おばあさんが友人から受け取ろうとしたもの>が何か?ということだ。

 

 

おばあさんは

「友人が譲ろうとした席」を受け取ろうとした。

だから「いや、それは私には必要ない」ということになる。

 

 

しかし本当に受け取るべきなのは<席>ではなく、

「席を譲ろうとした友人の心」

ではないだろうか?

と考えるようになった。

 

 

 

何を受け取るのか?

 

ものすごくシンプルな例を挙げてみる。

 

 

Aさんの誕生日プレゼントとして、BさんがAさんに100円相当の物をプレゼントしようとした。

するとAさんは「いや、100円くらいの物はなくても大丈夫です」と断った。

しかしBさんが1万円相当の物をプレゼントした時には

Aさん「あ、ありがとうございます」(^◇^)

と喜んで受け取ったら、どうだろうか??

 

 

「え??金額の問題???」(‘Д’)

とならないだろうか?

 

 

もちろん誕生日プレゼントに「100円相当の物」をプレゼントしないということはあるかもしれないが、

それでも<金額>の問題ではなく、

プレゼントをくれようとしたBさんの心が嬉しいのではないだろうか?

もしかしたらすごくお金が無い中で、それでも誕生日プレゼントをあげたくて100円相当の物だったのかもしれない。

それなのに「100円相当だから」受け取らないというのはどうなのかと思う。

 

 

100円相当の物だろうが、

1万円相当の物だろうが、

相手が真心でくれた誕生日プレゼントであるならば、

「わざわざ私のためにプレゼントを下さって、ありがとうございます」(^◇^)

と感謝して受け取るのが人格者ではないかと考えるようになった。

 

 

そして逆に

相手が1万円相当の物をくれるとしても、

「真心からしたことでないならば」

受け取るべきではないだろうと思うようになった。

(※真心からしているのか否かの判断が難しいが…)

 

 

こんなことを考えるようになった。

 

 

 

 

友人とおばあさんの話に戻ってみると、、、

 

 

もちろんおばあさんとしては

「次の駅で降りるくらいだから、席なんかいらないわよ!!」(‘Д’)

という意味で断ったのではなく、

席を譲ってくれた友人に配慮する心からだったのだろうと思う。

「私のせいで、この人の席を立たせてしまうのは申し訳ない」という感じだったのだろう。

 

 

それでもさきほどの例で言うならば、

100円相当の物をプレゼントした時、相手が「いや、それはいらないです」と突き返されたら、

そのプレゼントはどこにいくだろうか?

あげようとした人がとても恥ずかしいし、そのプレゼントももったいないし、ピエロのような感じになってしまう。

 

 

この状況もそうなったようだ。

だから「もう一度座ることもできずに立っていた」と言っていた。

プレゼントした100円相当の物を返されて、

持って帰ろうとかばんにも入れられず、そのまま置いておいたような感じの状況だ。

 

 

なのでおばあさんのスタンスとしては

「私は次の駅で降りるから、あなたの譲ってくれた席に座る時間は短いけれど、

この大勢のいる中で私に席を譲ろうとしてくれたあなたの心に感謝して、受け取りますね。」

という感じで、席に座ったらよかったのではないだろうか。

もちろん実際にそんなに長いセリフを言うことはないだろうが。笑

 

 

それ以降

 

それ以降も、

自分自身が誰かに何かをしてあげたくてした場合、

やはり素直に喜んで受け取ってくれた方が嬉しかった。(*‘ω‘ *)

相手のために、喜んで欲しくてしたことなので、

喜んで受け取ってもらえたら嬉しかった。

 

 

このような経験から、例外はあるが基本的には、

「人からの好意は素直に感謝して受け取る」

ことにするようになった。

大事なのは「感謝して」受け取ること。

 

 

(ただ、では自分が電車で立っていて、

前に座っていたおばあさんが突然自分に「あなた席座りなさいよ」と譲ってくれたとしたらどうするかと聞かれたら、とても困るが。(‘Д’)

そういうことが無いように健康そうに、元気よく見える立ち方も研究しないとと思う。笑)

 

 

大事なことは

「何を受け取るのか?」

もう少し言えば

「何に感謝して受け取るのか?」

 

 

もちろん「ありがた迷惑」ということはあるだろうと思う。(+_+)

しかしそれでも、

なんとか「ありがた」の部分だけを感謝して受け取り、

その心を見て、

「迷惑」の部分は、うまく取り除いて食べる人格と処世術を

身に着けたいものだ。

 

 

 

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