<好き>と<愛>の違い byマザーテレサ

 

グーテン・ターク、シンジュンです。(・∀・)

 

 

私の母親はマザーテレサが好きで、家によく本が置いてありました。

(特にクリスチャン家系という訳ではありませんが。(^^;)

その影響もあってか、高校時代など読む本がなくなったら、ふと手にとって読んでいた記憶があります。

その献身的な生き方は尊敬していたし、日本人の好きな偉人ランキングでも上位に来るのがマザーテレサです。(*’▽’)

 

 

マザーテレサについてはいつかもっと詳しく記事を書けたらと思っています。(‘ω’)ノ

 

<好き>と<愛>の違い

 

マザーテレサはいつもたくさん<愛>について話していました。( ˘ω˘ )

 

 

さて、タイトルにもあるように、

「<好き>と<愛>の違い」とは何でしょうか?(´・ω・`)

 

 

よく「恋」と「愛」の違いは何か、みたいな話があがることがありますが、

それと似たような問題でしょうか。

以下を読む前に、ぜひ一度考えてみて頂ければ。(‘ω’)ノ

 

 

 

以前ある講演会の中で、この質問を参加者に問いかけてみて、回答を聞いてみたことがあります。( ˘ω˘ )

その講演会では男女比率が半々くらいでしたが、特に女性たちのグループが盛り上がっていたことが印象的でした。

グループ内で話し合った結果を発表してもらいましたが、やはり女性の方が積極的でした。

男性は「色恋沙汰には興味ねぇぜ」という武士たちが多かったのかもしません。

 

 

それぞれいろいろな意見を出してくれて、しかもどれも「ああ、それもそうだ」と納得させられるものばかりでした。( ˘ω˘ )

ある人は、

「<好き>は自分のことを考えているけど、<愛>は相手のことを考えている」

というような回答もあったと記憶しています。

ふむ、全てがそうだとは断定できませんが、確かにそういう側面はあるなと思いました。( ˘ω˘ )

 

 

またある人は、

「<好き>はすぐに終わるけれど、<愛>はずっと変わらない」

という回答もありました。

なるほどな~と思います。( ˘ω˘ )

しかしもしこの回答が本当に正しいとすると、

実際、地球上で本当に「相手を愛している人」というのは、ほとんどいないことにはなります。(+_+)

もちろんいない訳ではないかもしれませんが、最後までずっと変わらず相手を愛する人が、一体どれくらいいるのでしょうか?(‘;’)

 

 

昔ある男子大学生がいたが、その子には彼女がいました。

しかしある日その彼女にこう言われたそうです。

「将来結婚する訳でもないのに付き合っている意味が分からなくなった」

それを言われて、その男子大学生もいろいろ考えてみましたが、その通りだったので返す言葉が無かったという話をしてくれたことがあります。(‘Д’)

 

結婚式での誓いの言葉

 

それについて、小さい時、ずっと不合理に感じていたことが一つあります。

結婚式の時にする「誓いの言葉」です。(‘Д’)

 

牧師「新郎○○、あなたはここにいる新婦○○を、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

新郎「はい、誓います」

牧師「新婦○○、あなたはここにいる新郎○○を、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も、夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」

新婦「はい、誓います」

と誓い合ってから、指輪の交換などをします。

 

 

そして数か月後、数年後に離婚したり。(‘Д’)

芸能人の報道では1か月後、3か月後に離婚したという話もチラチラ聞きます。

 

 

そういう姿を見て、

「あの時誓ったんじゃないのか~~」Σ(・□・;)と小さい子供ながら世の中の不合理さを感じていました。

もちろん今は成長して、それぞれにいろいろな事情があるということが分かるようになりました。( ˘ω˘ )

しかし違和感が完全に0になったかと言われると、0ではないなと思う自分がいるなと思います。( ˘ω˘ )

 

 

どこに問題があるのだろうか、と昔(高校時代?)考えてみたことがあります。

「誓う」という行為なのか?

本人たちの問題なのか?

そもそも「結婚」という制度の問題なのか?

さて、あなたはどう思われますか?(´・ω・`)

 

結婚指輪

マザーテレサ曰く

 

話を本題に戻しますと、、、

 

 

上の問題について、何が問題なのかなと思っていましたが、

ある時、マザーテレサのある言葉を聞いた時、一つ、自分の中で納得できたことがあります。( ˘ω˘ )

それが今日の主題である

「<好き>と<愛>の違い」についてでした。

 

 

マザーテレサは以下のように語っています。

「「好き」と「愛」は違うんです。

「好き」になることに「決心」はいらないでしょう?

トマトが好きなことに決心はいらないけど、本当の「愛」にはある意味「決心」がいるんです。」

マザーテレサ

 

なぜ「愛」には「決心」が必要なのか、最初は分かりませんでしたが、

マザーテレサの本を読んだり、映画を観たりする中で分かるようになりました。

 

 

マザーテレサがとても強調し、何度も話している言葉の一つが、

<犠牲>であることに気が付くようになりました。( ˘ω˘ )

 

 

そうして

「愛には<犠牲>が伴うのだ」

ということを悟るようになりました。( ˘ω˘ )

 

 

マザーテレサがある本の中で語っていたエピソードを一つご紹介します。

マザーテレサが活動する中で、とても印象的でよく覚えているエピソードだと言って、よく話される話です。

 

 

砂糖を持ってきた子供の話

まだ、マザー・テレサの活動が今ほど人々に知られていなかった頃の話。

毎日家々を回りながら、食べ物を少しずつ分けてもらい、それを貧しい人たちに分け与えるということをしていました。

 

ある日、ある小さな男の子が母親に連れられて、マザーテレサの家にやってきました。

そしてその男の子はおずおずとマザーテレサに小さい瓶を手渡しました。その瓶の中には砂糖が入っていました。

 

話を聞いてみると、それはその男の子がマザーテレサや貧しい人たちを助けるために、3日間、自分が使う砂糖を使わないで、貯めておいたものでした。

甘いものが大好きな子供にとって、自分の食べる砂糖を使わないで、他の人にあげるということが簡単なことだったでしょうか?

それで男の子は、マザーテレサや貧しい人たちを助けるために3日間自分を「犠牲」にしたのでした。

マザーテレサはそのことをすごく喜びました。

 

「その小さな子どもがくれたものは、それを私たちが貧しい人々に分け与える時に、 計り知れないくらい大きなものとなって、 彼らの手に渡ることでしょう。

私は、その子どもから本当に大切なことを学びました。

この幼い子どもは大きな愛で愛したのです。

なぜなら、自分が傷つくまで愛したからです。

この子どもは私にどのように愛するかも教えてくれました。

大切なことは、いくら与えたかではなく、与えることにどれだけの愛を注いだか、であると」

 

まとめ

 

愛には<決心>が必要だとマザーテレサは語っています。

なぜなら「愛には犠牲が伴う」からだと。

相手のために犠牲になるためには、確かに<決心>が必要ではないでしょうか?(‘Д’)

 

 

どうして人は結婚したのに、すぐに離婚してしまうのか?

誓いの言葉は何だったのか?という疑問に対しても、これが一つの答えになるのではないかなと思います。

 

 

愛には犠牲が伴う。

だから<相手のために犠牲になる決心ができる人>が、

「私はその人を愛している」と言えるのでしょう。(*‘ω‘ *)

 

 

そう考えると、「愛している」という言葉は

簡単には言えない

非常に重みのある

貴重な言葉だ

ということを感じるようになります。(*‘ω‘ *)

 

 

心から「私はあなたのことを愛しています」と言える人に出会えた人は、

本当に幸いな人生ではないでしょうか。( ˘ω˘ )

 

 

「人類みな兄弟」「人類愛」という言葉がありますが、

本当にこのような「愛」に意味において、人類愛がなされたなら、

確かに平和な世界がやってくるように思います。(*‘ω‘ *)

 

 

安易に<愛>という言葉を使っていないのか、

また一体自分はどれだけ人を愛していると言えるのか、

深く考えてみるきっかけになれば☆彡

 

【今日の二言まとめ】

1.本当の愛には<決心>が必要!

2.トマト好きなので、トマトを<好き>になるのに決心がいらなくて良かった。( ・`д・´)

ミニトマト

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