自然体で生きる~面接で見えた姿~

<自然体>で生きる~面接で見えた姿~

<自然体>で生きたい

 

昔から今までずっと「人生を<真実>に生きていきたい」と思って生きてきた。

「<真実>に生きる」と近い表現で「<自然体>で生きたい」とも思っていた。

人によってあれこれ自分の意見を変えるのではなく、いつも変わらず自然体で生きていくことが自分の昔からの目標の一つだった。

これは本当に小さい頃から思っていたことのようだ。

いわゆる「八方美人」「偽善」「表と裏の顔が違う」「陰口」というようなことが本当に嫌いだった。

<真実>でないものがすごく嫌いだった。

だからこそ真実に生きていきたいと思っていた。

 

 

小学校1~3年生くらいの頃に公園で遊んでいる時に、よくお金を拾った記憶がある。

その拾ったお金を毎回自分のマンションの管理室に持って行っていた。

誰かに言われてそうしていたのかは分からないが、今思えば純朴な少年だったようだ。笑

(あのお金は一体どこに行ったのか…(´・ω・`))

 

 

<自然体>で生きる難しさ

 

しかし<自然体>で生きようと努力はしたけれど、実際これはとても難しかった。

丁度「化粧をしないで素顔でいたい」と思っても「素顔でいても大丈夫なくらい」でなければならないように、

自然体でいても大丈夫なくらい自分がある程度磨かれていないといけないからだった。

 

 

怒りっぽい人がいて、「俺は自然体でいたいんだ!」と言って自然体でいたら、

いつも怒っていて、周りの人に多大な迷惑がかかることになる。

こういう人は<自然体>でいてもらっては困る。

むしろ怒りを抑える努力をしてもらいたい。

 

 

だから<自然体>でいるためには、<自然な状態>で問題ないくらいに磨かれている必要があったが、自分はそこまでの域に達していなかったので、その現実と理想のギャップが起こっていた。

そこにかなり苦しんだ時期もあったが、それでも自分には師匠がいたので、師匠に学びつつ、少しずつ足りないながらも自分を磨こうと努力した大学時代だった。

 

 

就活のある面接にて

 

そうした自分が「ああ、自分もある程度は成長できたんだな」と確認できた出来事があった。

 

 

就職活動をしていたが、ある中堅IT会社から内定をもらった。

もっと大手企業に行くこともできたが、その会社が自分の肌に合っていると感じていた。

 

 

その会社の内定式があったが、内定式が終わった後に社内で懇談会があった。

料理を並べてみんなで歓談している時、そこに「自分を面接してくれた人事の人」がいた。

この人は(後で分かった話だが)、かなりやり手の営業マンだったらしく、みんなからの信頼も厚い人だった。

営業成績トップを連発して仕事もできる人だったこともあり、本人の意向もあって人事の仕事に入るようになったそうだ。

 

 

せっかくなので少し挨拶でもしようと思って近づいて行って声をかけた。

自分「○○さん、お久しぶりです。面接の時はお世話になりました」

先輩「おー、荊木か!よく覚えてるよ!いやー、内定おめでとう」

すごく笑顔で対応してくれたのが印象的だった。

自分「あ、自分のことを覚えていて下さったんですか?何百人と面接したのに、よく覚えていますね」

(その会社にエントリーした数が10000~15000人くらいで、その中から120人くらいに内定を出したという話は聞いていた。)

先輩「そうだなー、でもすごく印象に残っているよ」

自分「そうなんですか。その時は合格にして下さってありがとうございました。でもなんで自分を合格にしてくれたんですか?何を見て合格だなと思ったんですか?」

と質問した。

それに対しての先輩の答えは

先輩「荊木ほど自然体で来た人はいなかった。一番自然にコミュニケーションが取れたね。そういう人はもう合格だよ」

だった。

 

 

「面接」となると、誰でも多少は悪い意味で自分を「作って」来る。

普段使わない言葉を使うし、普段しない動きをする。

多少なりとも仮面をかぶってくるものだ。

面接官もそれを十分分かっているので、その仮面を取って素顔を見ようといろいろなことをしてくる。

これは正直仕方のないこととも言える。

 

 

その先輩曰く、部屋に入ってくる時から凄く「自然体で作った感じがしなかった」と言っていた。

でも確かにその通りだった。

もちろん多少の緊張はしたが「ちょっと初対面の人と会うから」ぐらいの緊張だった。

普段通りに、いつも通りに部屋に入っていって、座って、面接官と雑談をしてきたくらいの感じだった。

面接時間もあんまり覚えていないが、感覚的には10~15分くらいだったような気がする。

 

 

その話を聞いて「あー、面接官はそういう部分を見ているんだな」と言う学びになった。

もう一つは「おー、自分も少しは成長したんだな」(*‘ω‘ *)と少し喜んだ。

なぜなら<自然体>で生きるというのはずっと自分が目指していたことだったからだ。

 

 

だてマスクの人生

 

人は大なり小なり仮面をかぶって生きているとよく言われる。

正直この世の中で「仮面をかぶらないで生きていくことができるのか?」という疑問はわく。

しかしだからと言って「仮面をかぶって生きていきたい」とは思わない自分がいた。

 

 

外国人が日本に来て驚くことの一つが「マスクを着けている人がすごく多いこと」だそうだ。

海外ではあまりマスクをつける習慣がそれほど無いらしい。

 

 

最近は「だてマスク」が流行っているという話も聞く。

特に風邪を引いている訳でもないのに、花粉症でもなく、マスクをつけている人もいる。

それはマスクをつけていると表情があんまり分からないから<楽>だという。

自分もマスクをつけたことがあるので、気持ちは理解できるが、毎日マスクをして生きていたら、逆に疲れる。

笑顔で話しても、相手には伝わらない。

困っていても、相手は分からない。

そうなるとコミュニケーションに支障が出てしまう。

<楽>だと思っていてしていたことが、結局は<楽>でなくなってしまうだろう。

 

 

体も正しい姿勢を維持することは難しい。

しかし正しい姿勢で生活した方が楽だ。

一方体を一度曲げて生活してしまい、それに慣れると、曲げている方が<楽>になる。

しかし<楽>だからと言ってずっとその姿勢のままいると、体に歪みが生じて、結局歩けなくなったり、腰に痛みが生じたりする。

結局は<楽>でなくなってしまう。

 

 

自分の生き方の姿勢を、いつも点検しながら生きていきたい。

仮面を被って生きているうちに、慣れてしまえば、それが<楽>になってしまう。

仮面をかぶってやり過ごすこともできるが、

仮面をかぶらないでも、素顔でも生きていける強さを身に着けたいものだ。

 

 

 

<考えの風邪>が治ったら、

「だてマスク」は、

外してみてはいかがだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す