<本>を読むとはどういうことか?

【第1回】<本>を読むとはどういうことか?

 

数多くの大学生からよく聞かれる質問の中の1つが、

「大学生のうちに本って読んでおいた方がいいですか?」という質問だ。

 

 

この質問をする人は多くの場合、あまり読書が好きではない人が多い。笑

つまり「自分は読書があまり好きではないけれど、将来のために、やっぱり本を読んでおくべきでしょうか?」という意味合いの質問だ。

 

 

その質問に答える記事を書いておこうと思った。

なぜかというと、本当によく聞かれるので。(´・ω・`)

同じような疑問を持つ人に、少しでも参考になれば。

 

本を読む<目的>は何か?

 

単純に

「本を読むのが良いか、悪いか」

という二択で言うならば、「良い」というのはあるだろう。

 

 

実際これからの人生でどれだけ多くの活字に触れることになるのかを考えてみると、

「活字を読む」という習慣を身に着けておくのは、益こそあれど、害はない。

できるに越したことはない。

 

 

ただ実際「活字を読む習慣を身に着ける」という目的だけなら、別に本でなくても良いと言える。

漫画にも活字はある。

ネットの記事でも、新聞でも、活字自体はたくさんある。

 

 

読書が好きな人はいる。

しかし「読書をする目的」は人によって異なるだろう。

 

 

「楽しいから」本を読む人がほとんどだという気がする。(経験談)

もちろん楽しいから読むのだが、「楽しいだけ」が目的だとするなら、その読書がどれほどの有益になるかは疑問が残る。

本を読み終わった後に

「あ~、面白かった」(‘ω’)

で終わってしまうとするならば、その本を読むのに費やした2~3時間の時間は「暇つぶし」に近くなってしまう。

 

 

「本を読んで考えないのは、食べ物を食べて消化しないことと同じだ」という言葉がある。

それを聞いた時は「ああ、本当にそうだ!」と思った記憶がある。

小説を読むにしても、何かの自己啓発本を読むにしても、<考えてこそ>何かをそこから得ることができるだろう。

ほんの一例だが、「自分がこの主人公だったらどうするか?」と一つ考えてみるだけでも、何かしら得るものはあるだろう。

また「この本を通して著者が言いたいことは何だろう」と考えてみるだけでも、何か見えてくるものはあるだろう。

 

 

本を読むということは?

 

また必ず考えてみるべきことは

本には<筆者>もしくは<作者>がいる

ということだ。

 

 

本には書いた人が存在し、

そして書いた人の<考え方><思想>が文字として書かれている。

 

 

つまり

「本を読む」=「書いた人から学ぶ」

ということを忘れてはいけないだろう。

 

 

しかしそのことを考えていない人が意外に多いことを、多くの人と接する中で分かるようになった。

本が自然発生的に突然生み出されることはなく、必ず「書いた人」が存在するのは当然のことだ。

当たり前だと思われるかもしれないが、これはとても大事なことだ。

 

 

最近だと徒弟制度の職業が少ないが、

例えば落語家になりたい人がいたとして、

落語家になるためには誰か師匠を見つけて、その人に弟子入りすることになる。

その師匠を選ぶ時に、適当に選んだりはしないだろう。

もちろんその師匠の落語を聞いてみるだろうし、

その師匠の人格なども見るだろうし、

様々なものを見て決めるだろう。

もちろん落語を学ぶのだから、最も<核>に見るものは当然「落語」だろう。

 

 

一冊の本を読むことも同じだ。

その本を読むことは、それを書いた人から、その人の<考え>を学ぶことになる。

そうだとすると、誰でも良いとは言えなくなってくる。

これはつまり「どんな本でも読めばいい。どんな本でも読めば有益だ」とは言えなくなるということだ。

 

 

ある人は

「いやいや、別にその人の考え方を学ぼうとか思っていないし。

ただ楽しいから読んでるだけだし」(-ω-)

というかもしれないが、

人は見て、聞いたものに絶対的に影響を受ける。

それに触れる時間が長ければ長いほど、大きく影響を受けること自体は間違いないし、避けられないことだ。

ものすごく単純な事例を挙げるとするならば、

漫画「キャプテン翼」が流行したことによって、サッカーブームが起こったし、

漫画「スラムダンク」が流行ったことによって、バスケブームが起こったようなことだ。

(ワンピースが流行ることによって、海賊ブームが起こらなかったことは幸いだった)

 

 

灰色の頭脳を持つ名探偵「エルキュール・ポアロ」もまた

「人は最も最近読んだ文章に影響されるものです」と言っていた。

(しかしその言葉・考えもまた、エルキュール・パアロを生み出した、超有名ミステリー作家エラリー・クイーンの「考え」がそこに表れていると言えるだろう。)

 

 

このように人は見るもの、聞くもの、触れるものに多大に影響されるものだ。

 

 

誰から何を学ぶのか?

 

このように

「本を読む」=「書いた人から学ぶ」

ということを考えた時、どんな本でも読めばいいとは言えなくなる。

もう少し正確に言うと

「本を読む」=「書いた人の<考え>を学ぶ」

と言えるだろう。

 

 

物語などのフィクションだとしても、書いた人が一生懸命「考えて」生み出したストーリーであり、作品である限り、そのストーリー、作品を読むことは、その書いた人の考えに触れ、その考えの影響を受けることになることは間違いない。

(先ほどのエラリー・クイーンの例などもそうだろう)

 

 

そう考えた時、

落語家が師匠を探すならば、

<核>として師匠の「落語」を聞いてみるように、

本を読むならば、

つまりその人の考えを学ぶならば、

<核>として書いた人の「考え」を見てみる必要はあるだろう。

どういう考えを持っているのか?

自分に有益なのか?

それとも害なのか?

次元が高いのか?

次元が低いのか?

これは単純にその人がお金持ちである、成功したしていないでは判断し切れないものはあるだろう。

(もちろん一般的に成功している人たちは、より高い次元の考えを持っていたからこそ、成功できたという面はあるだろうが、一概には言えないということは、経験則から分かったことだ。)

 

 

「本を読む」=「書いた人の<考え>を学ぶ」

ということを考えてみて、

是非よりよい<考え>を

本を通して吸収していってもらいたい。

 

 

 

これを踏まえた上で、次回は「どのような本を選べばよいか」について書いてみるつもりだ。

 

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<本>を読むとはどういうことか?” に対して1件のコメントがあります。

  1. 鹿児島の西郷ど~ん より:

    ほんとに、本を何でも読めば良いわけじゃないですね。

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