日本人の活字病とは

【第2回】日本人の<活字病>とは

 

 

前回「<本>を読むとはどういうことか?」について書いた。

今日はその続きをとして「日本人の活字病、活字中毒」ならぬ「活字信仰」について書こう思う。

 

※もしまだ前回分を読んでいない方は、先に読んでからの方が理解が早いだろう。

「<本>を読むとはどういうことか?」記事を読む

 

 

日本人の<活字病>

 

一般的に「活字中毒」という言葉がある。

「活字中毒」とは何だろうか?

いわゆる病気には分類されないが、俗にいう「恋の病」のようなものだろうか。

活字ならば何でも読んでしまう人のことを「活字中毒」などと言ったりする。

パッケージの箱についている文字を全部読んだり、

身の回りの文字を細かく読んだり、

何かを読んでいないと落ち着かない、というような症状があるらしい。

「落ち着かない」とまではいかないが、ふとパッケージの「成分表」などを読んでいるようなことはある気がする。

 

 

なぜこの話をするかというと、、、

 

 

多くの人と接する中で感じるようになったのは、

日本人には別の意味での「活字中毒」「活字病」の傾向があるということに気づくようになった。

個人的にはこれを「活字信仰」と呼んでいる。

 

 

これは何かというと

「活字中毒」:活字ならば何でも読んでしまう人のこと

とするならば、

New「活字病」:活字ならば何でも正しいと思ってしまう人のこと

を指す。

それゆえ個人的に「活字信仰」と呼んだりもする。(-ω-)

 

 

どうも日本人は「活字になっていると正しいことが書かれている」と思う傾向が強いことに気が付いた。(´・ω・`)

もう少し正確に言うと、

「活字になっている、正式っぽい文書」

に弱いようだ。

正式っぽいというのは、

いわゆる「新聞」や「評論」

公式っぽいサイトに書かれている内容

「本」として出版されている出発物

「学術論文」などのことを指している。

 

 

恐らくこれは「権威に弱い」日本人の特性からきているものではないかと勝手に予想している。

 

 

こういうところに書かれている「活字の文章」を見ると、

それが「正しいのか、間違っているのか」を考える前に

「正しいこと」として受け入れる傾向がある。

もちろんメディアリテラシーをしっかりと学んだ良識ある日本人はそうではないだろうが、

かなりこの傾向があるように伺える。

 

 

実際脳科学者によると、

昨今のスマホなどのモバイル機器の発達、SNSの常用化によって、

現代人の脳は<膨大な情報>にさらされるようになった。

それゆえ現代人は「見て聞くこと」には脳が発達して、見て聞くことには脳をよく使って生きている。

しかし脳の一番重要な部分、「分別する脳、確認する脳」は発達していなくて、「分別の能力」が弱くなっているという。

見ること、聞くことには発達していて、素早くインプットすることが可能だが、

その是非を分別できずに、そのまま「正しいこと」「良いこと」として受け入れてしまう傾向があるようだ。

 

 

それゆえに、現代人は分別がよくできるように「分別の脳」を計画的に発達させる必要があるだろう。

 

 

活字病の弊害

 

先に「正式っぽい文書」として「学術論文」を挙げた。

 

 

大学と大学院で数学の研究をずっとしてきたが、

教えて頂いた教授がよく

「世の中には間違った論文なんでいくらでもある」

と言っていた。

恐らく5~6回は聞いたから、よく覚えているのだろう。

 

 

実際、その通りなのが現状だ。(´・ω・`)

 

 

自分の研究していた分野で、とても有名な数学者の有名な定理がある。

この定理、とても内容がダイナミックで面白く、いろいろな研究者がその定理に触発されて、その後様々な研究者たちがこの定理(論文)を引用して、論文を書くようになった。

しかし後日、その定理に対する反例が見つかった。

つまりその定理自体は間違っていたということだ。(”Д”)

 

 

もちろん「間違っていた」と言って、それで全てが崩れる訳ではない。

少し補強をすればよいくらいだったので、大問題にはならなかったし、今でも多く引用されている定理ではある。

 

 

ただこのようなことはたくさん起こりうるし、

起こっていることを知っておくべきだろう。

 

 

最近でも「STAP細胞」の研究結果に関しては、記憶に新しい。

一時はノーベル賞級の発見とまで言われたが、結局本人が「STAP細胞はありません」と撤回してしまう結果となった。

 

 

同じような話は「新聞」でも「ニュース」でもありうる。

細かく書くと長くなるので割愛するが、

以前地下鉄サリン事件が起こった時も、

新聞やニュースは第一発見者が犯人として確定したかのように報道した。

しかし後でそれが間違いであったことが発覚したことがあった。

 

 

結局、結論として、

ニュースも、新聞も、本も、学術論文も

「人」が書いている限り間違いうる

ということだ。

 

活字病から抜け出す

 

前回

「本を読む」=「書いた人の<考え>を学ぶ」

ことだと書いた。

 

 

「活字になっているから」正しいのではなく、

「本になっているから」正しいことが書かれているとは断定できない。

もちろん「疑え」ということではないが、

その可能性は考慮してみる必要がある。

 

 

実際経験談だが、本を読むことで得られるものは多い。

本を読むこと自体は良いことだ。

 

 

あとは「本は書いた人がいる」ということを理解し、

「その人の考えを学ぶのだ」ということを理解して、

「<誰から><何を>学ぶのか」を明確にしながら読むことが重要だろう。

 

 

だからこそ「本ならば何でも読めばいい」のではないという話が出てくる。

どうせ読むならば、

より良い「良書」を読むべきだというのは、一般的によく言われることだ。

 

 

 

次回は「良書」とは何かについて書けたらと思う。

是非良書に触れて、多くの知見を得てもらいたい。

 

 

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